2017年11月19日

産土(うぶすな)

1、その人が生まれた土地。
2、産土神(うぶすながみ)の略。

「産土神」は生まれた土地の守り神。

お宮参りは、赤ちゃんが無事生後1カ月を迎えたことを
産土神に報告と感謝をして、健やかな成長を願う儀式です。

私は「うぶすな」を知らなくて、
消えつつある語かと思いましたが、
神社へのお参りを欠かさないような方には
身近な語なのかもしれません。

現在では、もっぱら「故郷」が使われています。
故郷には「こきょう」と「ふるさと」2つの読みがありますが、
「ふるさと」のほうがより温かみを感じます。
「ふるさと」という時、
ウルウルした思いがにじんでいる気がします。
ふるさと --- 精神的なよろどころ
こきょう --- 物理的な場所
こんな違いでしょうか。

ふるさと(古里/故里/故郷)
自分の生まれ育った土地。故郷。郷里。


「こころばえ」という語は失われつつあるかもしれません。
・彼女は心ばえのよい方です。

「心延え」(こころばえ)
1、気立て。
2、思いやりの心
3、おもむき

「映え」ではなく、「延え」です。
平安時代から使われている言葉で、
心が外に延びる意。
心の内面が押し出されるようにして外に現れた様子。

古語辞典を開いてみました。
「心ばへ」
1、気立て。
2、心づかい。配慮。
3、風情。趣。
人の心についてだけでなく、自然や物についても用いられる。

「心ばせ」という語もあります。
こちらは人の心のみに使われます。

「心馳せ」(こころばせ)
1、気遣い。
2、気立て。

古語には、こんなホンワリとした言葉がありました。

「心寄す」(こころよす)
特に思いをかける。ひいきする。

「心幼し」(こころをさなし)
幼稚だ。子供っぽい。思慮が浅い。

「心弛び」(こころゆるび)
気持ちがゆるむこと。心がくつろぐこと。油断。


最後に、
これ読めますか?
「続飯」「束子」
少し前の時代に活躍したモノです。



「続飯」(そくい)
「そくいい」の音変化。
飯粒を練りつぶして作ったのり。そっくい。


「束子」(たわし)
なるほど。うまい漢字を当てたものです。
いまでもタワシは売られていますが、
ほとんどスポンジに代わっています。




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2017年11月18日

「起きる」と「起こる」

メールマガジンの編集後記で、
「米国から集団訴訟が起こりました」という文章を書いた時に、
あれっ? 「起きる」を使うべき?
「起こる」「起きる」どちらが正しい?
頭が疲れているせいで混乱してしまったと思ったのですが、
世間でも混乱していました。

起きる(自動詞)
起こる(自動詞)
起こす(他動詞)

「起きる」の意味は、
横になっている状態から立ち上がること。目を覚ますこと。
主語は “人間か動物” です。
それに対して「起こる」は主語が “出来事”。
ところが、いつのまにか出来事に関しても
「起きる」が使われるようになっていました。
かなり昔から変化が起きていたようです。
ですから、
・地震が起きる
・偏食が原因で起きる病気
と聞いても何ら違和感を感じません。

「起こる」しか使えない場合もあります。
・サッカーブームが巻き起こる

起きる
1、横になっていたものがからだを起こす。立ち上がる。
2、眠りから覚める。
3、寝ないでいる。目をさましている。
4、何事かが発生する。起こる。

起こる
1、今までなかったものが新たに生じる。おきる。
2、自然が働きや動きを示す。おきる。
3、ある感情・欲望が生じる。
4、大ぜいの人が出てくる。大挙する。

もう一つ、
いつも変換時に悩む漢字に「かたい」があります。
」「」「
意味を確認しても、どれを使うべきが迷います。

Webをいろいろ見て、いい方法だと思ったのは、
反対語を当ててみて、その意味が反対になっているかどうかを見るもの。
「堅い」---「もろい」
「固い」---「やらかい」
「硬い」---「ゆるい」
例えば、
・信念がもろくない → 堅い信念
・表現がやわらかくない → 固い表現

文化庁の「ことばシリーズ21」には
以下の例が挙げられています。
■堅い
堅パン。口が堅い。義理堅い。底堅い。堅物。
■固い
固い地盤。固く結ぶ。固い握手。固い結束。固い友情。
■硬い
硬いボール。硬い鉛筆。硬い髪の毛。表情が硬い。硬い文章。




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2017年11月17日

心悲しい(うらがなしい)

「うら-がなしい」と読めませんでした。
「心」を「うら」と読むんですね。

心悲しい」(うらがなしい)
なんとなく悲しい。もの悲しい。

心寂しい」(うらさびしい)
なんとなく寂しい。もの寂しい。

この「心」は「裏」と同語源で、表に見えないものの意。
表に対する裏、外面に現れない内部の意。
外から見える顔が「面」(おもて)で、
見えない内面は「心」(うら)ともとれます。


1、こころ。思い。内心。
2、形容詞・動詞に付いて、心の中で、心の底からの意を表す。

「うらぶれる」も “心” です。
漢字は当てられていませんが、
心+触れる
という成り立ちです。
「うらぶれる」には貧相で憐れなイメージしかありませんが、
元の意味は、
心がものごとに触れて外に出ていってしまい、
体が抜け殻になった状態、虚ろになった状態をいいました。
そこから落ちぶれてみすぼらしい姿を言うようになりました。

うらぶれる
1、落ちぶれてみじめな状態になる。没落・零落する。
2、わびしく思う。悲しみに沈む。

羨む」の「うら」も「心」です。
“心” が “病む” からきています。

みすぼらしい
外見が貧弱である。貧しげである。
身+窄ぼらしい(すぼらしい)
「すぼらし」は「すぼる」の形容詞系
「窄ぼる」は “狭くなる” “縮む” “小さくなる” 意。
「窄」は見慣れない漢字ですが、「狭窄」(きょうさく)がありました。
ここから導かれる意味は “貧弱” だと思うのですが、
私は “貧しげ” のほうを強く感じていました。

辞書も “貧弱” は共通ですが、他の意味にばらつきが見られました。↓
◇外見が貧弱である。身なりが見苦しい。
◇外観がたいへん貧弱である。外見がきわめて粗末である。
◇外見が貧弱だ。みなりが悪い。

“身なりが悪い” “見苦しい” には、私はちょっと違和感を覚えます。





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2017年11月16日

「享年」と「行年」

恥ずかしながら私は「行年」を知りませんでした。
「享年」「行年」とも “人がこの世に生きた年数” を意味します。

どういう違いなのか比較しながら見ていきます。

「享年」(きょうねん)
天から享(う)けた年数という意。
何年生きたか。従って「歳」はつけません。

「行年」(ぎょうねん)
娑婆で修行した年数。
何歳まで生きたか。従って「歳」をつけます。

実際には、享年に歳を付ける例も多く見受けられますし、違和感もありませんね。
また、享年は本来は数え年で表すものでしたが、
現代では満年齢表記が一般的になっています。
1950年 法律により、
国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務化。
数え年を用いる場合は明示するようになっています。

「享」キョウ・うける
原義は “神に供物をすすめる” 意。

「数え年」は、生まれた時に1歳、以後正月ごとに1歳加齢。

墓石屋さんのHPで知りましたが、
ほとんどのお墓が「行年○才」という表記になっているそうです。
というのは、
石材に彫刻した時、画数が少ないほうが文字が欠けにくいため、
「行年」「才」表記を推奨されてるそうなのです。
全く気づきませんでした。

ところで、
何気に ○才と使っていますが、
元々「才」に “とし” の意味はありません。
「歳」と発音が同じで簡単なので代用されのでした。

「才」
(名詞)サイ(古語:ザエ)
すぐれた能力。

(助数詞)
年齢を数える助数詞。歳の代用。

そういえば、「如才」も正しくは「如在」で、
「サイ」の音が同じであったため誤って「才」に置き換わった語。
「如在」の意味は “(神が)そこいいますがごとくに” です。
人は誰の目もないところでは手を抜いてしまいがち。
天の目をいつも意識しなさいという戒めの言葉です。





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2017年11月15日

下種(げす)

1、心根の卑しいこと。下劣なこと。
2、身分の低い者。
3、下司(げし)に同じ。

「げす」の語源は、「下 」+ 「す」(種/衆)
“下々の種姓” の意。
「種姓」は “血筋・家柄” という意味。
すじょう = 素性/素姓/素生/種姓

「上衆」「下衆」は源氏物語にも登場する古い語で、
元々はこちらが使われていたのかもしれません。
江戸時代の用例では「下司」が多く使われていました。

現代の辞書では、
「下種」「下衆」「下司」と3通り載っていて、
どれを使ってもいいようです。

それぞれの対義語は、
下種 ---- 上種(じょうず)
下衆 ---- 上衆(じょうず)
下司 ---- 上司(じょうし)

「上種/上衆」は 身分のよい人。貴人。
「上司」は 役職が上の人。

「ゲス」単独で口にすることは、あまりありませんが、
「下種の勘繰り」「下種の極み」 などの表現で、今に使われています。

「下種の勘繰り」(げすのかんぐり)
品性の卑しい者はひがみっぽくて、物事を悪く考えがちである。

「下種の極み」は漫才「ハマカーン」のネタでよく耳にしました。
固い言葉がお笑いの中に挟まれると新鮮に響きました。

新聞広告に、
心屋仁之助「ゲスな女が、愛される」という本がありました。
「ゲス」が際どく効いているタイトルです。
読んではいませんが、
ダメな自分を受け入れて、がんばること・愛されようとすることをあきらめよう。
そのままの自分でいいんだよ。
という内容らしいです。
「ゲスの極み乙女」というバンドもありますね。

「下種」には「げしゅ」と読む仏語があります。
信仰の種を人々にうえつけるという意。
仏・菩薩が衆生に仏となる可能性を与えること。




posted by 空凛 at 13:35| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする